ダグラスハーディングって人がいてさ、私たちは知識として自分が人間だということを知っているんだけど、実際には自分の頭を直接見ることはないじゃんって話をしてるんだよね。私たちは知識を持っているから普段はそのことを忘れてしまっているけど、本当は世界に客観は存在しない。常に主観でしか世界を知ること、つまり生存はできない。
だから、私という個人が本当に私か?という、存在の同一性が問題になるのって他者の視点からでしかなくて、私の視点からしたらそれは全く問題ではないんだよね。だって「私」の意識だから。ドアをくぐる瞬間私が███たとしても、その後に出てくる私βは私βでしかなく、またその場合も私と私βの同一性は本人の視点からは何ら問題でない。名前が変わっても腕がなくなっても身体が機械化されても私の視点は私のものであり、「私」を名乗る複数の存在を区別する意義は多分ない。だって主観でしか捉えられないなら、その区別が正しいかだって本当には分からないでしょう。私たちが一晩眠って起きたとき、私は昨日の私ではないけど、私は私だと知ってる、それと何も変わらないと思う。
そして本当のところ、他人が私と私βとの同一性を真実気にしているのかなんてことは、私の視点からは知りようがないわけで、考える意味はあんまりない。つまり少なくとも私の存在に関することであれば、問題は常に私がどう思うかでしかないよね。