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【思考実験】テセウスの船について
自分の考えを書いたり、人のを見てそういうのもあるのか、とするだけの場所。
相対する考え方はどうしても出てくるけど、相手の意見を否定したり噛みつくのはやめてね。
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人間の細胞も決まった周期で入れ替わるけど私は私なので同一性は担保されませんかねぇ?そういうことでもない?
「エックスはまだ青い鳥」
で思ったが、未だにTwitter呼びはするし
特に「Twitterじゃないよ。エックスだよ」なんて言われたことはないな。
もちろん、昔のTwitterと比べてしまったら今のTwitterはTwitterじゃないな。と感じることもあるけど、
Twitterだったのを知っているからTwitterであると認知してるような感じだ。
テセウスの船でもこの感覚はあるかもな。
「テセウスの船だったんだからテセウスの船だよ」って。
テセウスの船の肝は、「テセウスの」と「船」のどちらを重視するかなのだろうか
テセウスの船を作る前の材料はテセウスの船じゃなかったんだから材料が何だろうがテセウスの船じゃない?
修理したら別のものが出来上がりました~というならそれはもうリフォーム的なものだよね。
随分変わったけど、エックスはまだ青い鳥だよ。
AとBの材料があって、AがCに変わった後、Bとそれなりに一緒に使用されて歴史を重ねられたら、BがDに代わっても同じものとして扱って良いように感じてしまう
ここまで書いて、自分は材料と人間を同じように見ているんだって自覚した
あー。私は料理で想像したのよな。
カレーって料理で、同じ「肉」ってカテゴリーだけど、牛から鳥になったら全然違うカレーだと思ったの。
しかし、それでも「カレー」という枠組みからは抜けてないから同じカレーではあるんだけど…という。
「この材料じゃないとそうと言えない!」って思うものが多いとこの感覚強くなると思う。
船の場合は「海を泳げて人が乗れればOK」って認識だったから、この材料じゃないと!とは思わなかったのだ。
AKBなら「48人いて女のコが同じ衣装で歌って踊る」とかなのかな。
船だとそれが薄くなるのは、船が何なのかよく知らない人が多くて、分かりにくいんじゃないかな?
(身近ではないため、パーツが変わる=見た目が劇的に変わると考える人もいそう)
私は船っていう構造自体は変わらず船として機能するから変わらないって認知だったな。
俗的な喩えだけど、「AKBの初期メンバーが全員卒業したAKBは結成時のAKBと同じと言えるのか」もテセウスの船と同じだと思う。
ただAKBの方は「同じAKBというグループ」と捉える人が多くて、船のパーツが全て替わったテセウスの船は「同じ船と言えるか分からない」と捉える人もそれなりに多くなるのが不思議。
ここら辺を深掘りできたら面白そう。
ネットだと大喜利にされがちなトロッコ問題も、個人の価値観をはかれておもしろいよな。
自分はレバーには手を出せないと思う。その先の人数ではなく、自分の手で他人の運命を左右する怖さが勝つ気がする。
そこに、仲良しの人がいます、とか、あなたはリーダーで作業員の数が少なくて大変です、とか、なにか付加要素があればまた変わると思うけども。
テセウスの船ってそもそも時間が続いてるという前提の話だから、三次元を生きる人間らしい思考実験だよな
ふーむ。
「存在の証明」とか「自己の確立」って何だか鏡のように反█させて成立するものが多いのだな。
心も、多分そんな感じだ。
とはいえ心の定義って難しいな。
なんというか、人と関わるのに心は必要だと思うけど、心を保つのに究極でいえば他者の承認は要らないんよ。
己が己であると信じ続けられるならば、他人に反█させる必要がない。肯定も必要ない。その域に行ったら傷つくなどもないと思う。
しかし、その域までいってる人が居たとして多分他人は「心無い人」と扱ったりするんよ。
なので、一般的に言われる「心」って「共感」って感じがするのだ。
実際に分からなくても分かる〜ってなれることを心と言っているような気がする。
となると、AIだって十分心を感じられるようになると思う。
んじゃあ、心があれば人間なのか?ってなるとまだ変わってくるという。さっきみたいな「心無い人」の例もあるしね。心があれば仲間か?分かり合えるか?もなんだか違うのだ。
難しいよな。確実にあってほしいものだし、無いのは嫌なのは分かるけど「あるから絶対◯◯!」みたいなものじゃないっていう。
似たようなので最近よく考えてるのは「AIに心は生まれるか」ってこと。
人間を学習して人間を模倣したAIは人間と何がちがうの?ってなる。感情も傷つくのも学習したらそれは「心」ではないのか。
(そもそも人間の「心」もよくわかってないけども……。)
これも使用者の認識次第かなぁとは思いつつ。
わーい。こういうの好き。
テセウスの船だけど、元の船を徐々に新しくしてくのと同時に、全く同じ材料と手法で新しく同じ船を組んでいった時、そのふたつの間で違うものといえば人間からの認識しかないと思うの。
だから、外部の認識があれば形が変わってもいつまでも「テセウスの船」だし、外部の認識が切れれば「テセウスの船だったもの」になると思ってる。
ぼくらも、他人がいなくなった瞬間に自分がわからなくなると思う。
正倉院って、宝物をずっと守るために第二の宝物と言うべき模造品を作ってるんだけどね、テセウスだなぁと思ったよ。マッドサイエンティスト的と言うか。
あと、関連しそうな思考実験だと「小鳥をすり潰すと何が失われるのか」も?
人間は何をもって同一だとみなしてるんかねえ
これ面白い話題なんやけど深掘りすればするほど自分の学のなさが露呈するんだよな……
人間版はスワンプマン(沼男)があるで
興味深い。
ぬいぐるみとかも似たようなことが起きるけど、きっとずっと同じぬいぐるみなのよな。
構成物質がなんであろうと「これは◯◯である」と信じる人がいる限りそうなるのかもしれないね。
仮に99人がそうではないと言っても、1人でも「これはテセウスの船である」といえば、その1人の世界ではテセウスの船だし
もし何十年後かにそうではないと言った99人居なくなって、テセウスの船だと言い続けた1人が残ればそれはテセウスの船になる事だってあるだろうし。
対象物が正しいか正しくないかというより、人の認識で変わるし
何か、学問で定義が変わりそうな面白いテーマだった。
人間も似たようなもんよね。細胞は常に入れ替わってる。脳にすら代謝はある。なにを持ってテセウスの船と呼ぶのか、形なのか素材なのか連続█なのか
「テセウスの」が所有者を指している認識だから持ち主が変われば「テセウスの船だったもの」になる。
という冗談はさておき、別物か否かの話をする場合、部分ごとの交換ならいつまでも「同じ船」。
連続█とか難しい言葉はわからないけど、個々のパーツが「テセウスの船」に取り込まれて100%の状態を保ってる感じ。人間の細胞みたいな。
【テセウスの船】
テセウスの木造船がある。
古くなった帆を取り換え、マストを取り換え、舟板を取り換え……すべての元の部品が交換された場合、それはまだテセウスの船なのだろうか?
異なる場合、どこまでがテセウスの船と呼べるのだろうか?