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【思考実験】トロッコ問題αについて
自分の考えを書いたり、人のを見てそういうのもあるのか、とするだけの場所。
相対する考え方はどうしても出てくるけど、相手の意見を否定したり噛みつくのはやめてね。
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作業員よりもAさんが嫌いか否かで判断変わってきそうだな
1人の犠牲で5人を救うんじゃなく、5人を助ける大義名分のもとに1人をあやめる権利を得る感じだ
恰幅の良い男が実は指名手配█で〜迷惑系YouTuberで〜のような「犠牲にしても良い対象/非のある対象」でしたという追加条件が出たとしたら、作業員という無辜の人々を救うための贄にすることへの抵抗感は減る
作業員の中に自分の恋人や肉親がいたなどの追加の条件が出たとしたら、その人物を守るために恰幅の良い男を贄にすることへの抵抗感は減る
ただしここまで来るとXでよくある作業員とヴィーガン(Xの空気感的に嫌いな人物やサンドバッグにして良い人物的な認識?)というような大喜利と大差なくなるし、相手に非があるから贄にしても良いという発想を突き詰めると█罪者だから自分で裁いても良いというキラの思想に近づきそう
どのみち「恰幅の良い男」という情報だけでは自分と同じ程度には無辜の人と認識されるから、5人を救うという名目で突き落とすとはならないし、レバーを引く問題と違って二者択一というよりも理不尽さを感じる
大声で知らせる…っていうのはアリなのかな。
爆発するぞー!とか嘘でもなんでもいいからとりあえず異変に気づいてもらえたらいいのかな
「なにもしない」!
可能であれば叫んで知らせたり、思い至れば一縷の望みをかけて医者か人を呼びに走るかもしれない。着ている服を丸めて投げるのもいいかもしれない。自分が安全な範囲でなにかしらはするだろうけど、二択でいうと何もしない。
そりゃ数で見たら1を犠牲に5を救えるのはお得かもしれないけど、数じゃないというか、他人の命をどうこうしたくないっていうか、責任負えないというか。
それはそれとして誰がどう亡くなったとしてもしばらく無意味に凹むと思う。
人を轢けば恰幅の良し悪し関係なく勢いが落ちるのであれば「自分が自ら落ちて轢かれる」というのが、倫理的には筋が通っているかなと考える。
ただ上記は物語的な理想論であり、実際その場にいたのなら、その状況に頭が真っ白になり、思考する間もなくただ通り過ぎるのを見て、その後の惨状を目の当たりにして、ひたすら罪悪感に襲われるだけなんだと思う。
「突き落とす」ことで止まる「かもしれない」なら突き落とさない。
確実性がない上に自分がその責任を負いたくない。
この条件なら、他の人と同じで作業員に声だけ掛けて「気付いて声を掛けたけどダメだった」に持って行きたい。
トロッコ問題でよく出てくる「もう片方の線路には泥酔して寝ている人が1人居ます」の場合、「こんなところで寝ているのが悪い」という相手側に非をこじつけることができるから、「5人を助けるために線路を切り替えました(5人を救うために1人を犠牲にしました)」にする心理的なハードルが下がる気がする。
こうやって考えると「橋から身を乗り出している恰幅の良い男」だけでは、他5人を救うための犠牲にする言い訳にできる情報があるように見えないのも、突き落とすという選択肢を取れない理由かもしれない。
そもそも突き落とすという発想はなんぼなんでも浮かばないです
そんな選択肢をなぜ設定したのか
元々突き落とすなんてことをしたくないからやらんけど、Aさんを落としても「かもしれない」なら絶対に選択肢に入らんな。
人によってはAさん、がたい良いんだから█なんやろってなって
全員助かるかも!ってなんのかな?
自分だったら、何もしないで見なかったことにするかもしれんな。
なんというか、人の命がかかってる場面に関わりたくない。
別に関わっても関わらなくても私の責任では無いが、最初から関わらないほうが「そういうものだった(運が悪かったとかのこと)」って思える。
Aさんが居なかったら私がAさんのように身を乗り出すかもしれないが
Aさんが居るなら…なんだろうな。
困っている人と助ける人が成立してるからその問題に入ろうと思わない。
「人数が増えるだけ助けられる」ともきっと考えない
トロッコ問題とは違うが、私は駅のホームで明らかに脳系の異常をきたして倒れた人に遭遇したことある。この時、2人、3人が即座に動き「大丈夫ですか!?」と声をかけた。
私はそこでそのまま通り過ぎるのを選んだ。
もしかしたら「こういう時頭を動かさないように気道確保する」とか私のほうが分かってたかもしれないが
分かってないけど助けたい人にそれを共有するほど自信もない。
こういうの「私しかいない」にならんと動かないんよね。
悪いことだとは思ってるけど「何もしない」派。
今回のパターンだったらAさんと一緒になって身乗り出して「危ないぞ逃げろー!!」って叫んでAさんと2人で「気づいて声をあげましたが駄目でした」にしたい。
普通のトロッコ問題ですら「気が動転して分岐に頭回らなかった」と言い訳するかもしれないし、もっとシンプルに「気づいた時には手遅れでした」にしたい。
助けたい気持ちはあるが、そのために人を56すことはできないし、自分の保身で手いっぱい。
貴方はトロッコの線路の上を渡る橋の上におり、そこから暴走するトロッコが近付いて来るのが見えた。
橋の下を潜った線路の先には痩せぎすの作業員が5人いる。
作業員は異変に気付いておらず、分岐点などはないためこのままではトロッコは5人全員を轢き○してしまうだろう。
それほどの勢いがあるトロッコを貴方が止めることは不可能だ。
だが、同じ異変に気付き橋から身を乗り出している「恰幅の良いAさん」を線路に突き落とせば、Aさん1人を轢いてトロッコの勢いは止まるかもしれない。
貴方はどういう行動をどのような理由でとるだろうか。